2006/01/09より

  2006年になりました。一年一年が早いです。さて今年は、就活に勤しまなければなりませんが、さてさてどうしましょうか。SE?MR?学校の先生?取り敢えずどこかに就職する?という甘い考えではどうも…。自分に適している会社・仕事・職場を探す=自分探し?言葉では何とも言えますし、勝ち組は何を言っても正しく聞こえるもの。というか、そういう自分を嫌と言うほど思い知らされたのが、この年末年始だったような。要するに「考えている時間」があれば行動しなさい、ってことです。あと、変なプライドは捨てることです。社会人年齢0才の分際で、根拠も意味もない歪んだプライドなんてもってどうするんですか。

 そういう意味では、昨年から読んでいた杉山尚子「行動分析学入門」(集英社新書)は、いい刺激になったかも。心理学は、大学に入学したら一度は、学んでみたいと興味を持つ学問のひとつである。心理学にもいろいろ分野はあって、この行動分析学もその中のひとつでに当てはまります。専門用語が、いくつか出てくるので、うっと思う人もいるかもしれませんが、それはそれとして、内容は中々イタイ処を突かれるものばかりです。行動の空回りというか、矛盾を生み出す意味のない言葉の循環ってものに誰しも陥るもの、頭がいい人わるい人関係なく、そういう風に逃げてしまうものなのだと、反省するとともに気をつけないとなと思います。

 昨年ベストに挙げた梨木香歩「沼地のある森を抜けて」(新潮社)を読んだあと、改めてエッセイ「ぐるりのこと」(新潮社)を読む。身近な世界と広い世界の歪み。グローバルとローカルなものに、世界は二分されているわけではないのだけれど、なぜかその世界の歪みは別々のものであるかのような錯覚に陥ってしまいます。すでに空間的な世界の歪みに対する意識のズレを感じるとともに、時間軸に対しても意識というのは連続ではなく、どこか遠いお話のような気になってしまう。(連続しているものすべてを捉える、把握することなど不可能なこと。だから毎日毎日、脳のメモリーをきれいに掃除する必要があるのだけれど。)だからこその毎日の積み重ねありきで、突然、偶然に何かが起こるわけではなく、やはりどこかで必然性が生じて、物事は進んでいくもの。思索の限り、それはすべて机上の空論であるし、物語は必然的に現実世界から生まれてくるものでしかない。ただしその逆は、成立しないことは言うまでもないことでしょう。