2007/02/04より

 中島京子のエッセイ集「ココ・マッカリーナの机」(集英社文庫)を読了。スラスラと読み終えてしまった。著者が作家になる前の、渡米し教育実習生として過ごした日々を主に綴っている。一番のエピソードは、「十四歳」。すーと、すべてのイライラや悲しみを許せる時が絶対にやって来る、いや来たというべきかも。中学・高校の頃を思い出しました。
 例えば、山田詠美「ぼくは勉強ができない」(新潮文庫)の中の白と黒のエピソードや立原えりか「妖精たち」(角川文庫)の妖精の最後の一言などを思い出しながら、世界の捉え方というか、ものの見方というか、差別というか、だだっ広い宇宙や人間原理を何のフィルターもなしに、心だけで見つめた時に、はじめて焦燥感や苛立ちといったものを感じ、居心地の悪さを覚えた、ということを思い出した。いわゆる他者と自己の関係、距離感というものを、はっきりと認識したということ。断絶というか、遠さというか、知識では決して埋まらない感情的な溝というか、まあ、そんなことを。いわゆる自分の生きている世界に絶望するということでしょうか?(大げさな…)そこで新たな尺度を見つけるか、それとも何かにあがない続けるのかは本人の努力次第ということだと、今では思う。でも、今の子はもっと複雑に、難しく色々と考えてしまうのかも、命より大切なものはない、そう思うのですが。